姫路に賢明女子学院ができた頃のことを教えてください。

賢明女子学院の開校は1951(昭和26)年。南フランスで1796年に誕生した聖母奉献修道会のシスターたちが、世界中へ渡り、開いた学校のうちの1校です。当時はまだ戦後まもなく、姫路は一面焼け野原で、お城だけが残っていたと聞きます。町がその様な状況だったことに加えて、シスターにとっては、日本語はもちろん、日本の社会の動きや文化、姫路の地域のことなどもよくわからない状態のため、学校の運営も、地域や保護者の方々、先生方の力をお借りしながらのスタートだったようです。それ以降、支援くださる皆さま方からの貴重なご意見やアドバイスを取り入れ、吸収する柔軟さが、時代の動きにも敏感に対応できる今日の賢明女子学院をつくりあげたと感じています。

先生がキリスト教にはじめてふれたのは、中学時代だそうですね。

中学・高校時代は、その後の人生に大きな影響を与える大切なときです。自分自身の人生を振り返ってみても、私に影響を与えた人や言葉とは主に中学時代に出会いました。「シスター」という存在を知ったのもこの頃です。「私の北海道のおばさんはシスターなのよ」と言った友人の言葉がきっかけで、キリスト教に関心を持ち、北海道のトラピスト修道院に憧れるようになりました。
 
また当時、上級生が演じるシェークスピア『ヴェニスの商人』の劇を見る機会がありました。劇中、主人公のポーシャが「神の慈悲は上から下って来て、春の雨のように人の心を潤すものなんだ。お前はそれがわからないのか」と金貸しのシャイロックに言います。なんだかこの言葉がすごく印象的で無意識に覚えていたのですが、その後大学生になり聖書の勉強をはじめた頃、この言葉が聖書の言葉であることを知りました。不思議なことですが、神様が導いてくださって自分はキリスト教の考えや教えに惹かれていったのだと思います。

その後はどのような道を歩まれましたか?

聖母奉献修道会に所属し、大学卒業後は修道会が運営する大阪・堺市の賢明学院で、国語と宗教を教える教員として働きました。その後は外国の地でシスターとして働いたこともありました。世界のいろんなところへ行き、人種や言語の壁を越えていろんな人と交わり、いろんな人から学ぶ中で、教育に対する姿勢も学びました。この経験で、生徒を見る目や周囲を見る目が広がったと思います。賢明女子学院との関わりは30年ほど前からで、以来、今日までこの学院とともに歩んできました。

変革を厭わない賢明女子学院にあって、変わらない大事なこととは?

建学の理念に基づいた家族的な雰囲気です。この学校には、あらゆる場面で人間同士の温かいふれ合いがあります。先生と生徒との交わりにも、まるで家族のような優しさと親しみが溢れています。私がこの学校に来て以来、この雰囲気はずっと変わっていません。

この学校で生徒に身につけてほしい力とは、どのようなものですか?

生徒たちが、今、勉強したり吸収したりすることは、今後の自分の人生を作り上げる基本になること。だから、自分にとって本当に良いもの・正しいものを、できるだけたくさん吸収してほしいと思います。何を吸収するのかは、自分で学び考えることが大切。自主的に、能動的に学び、考えながら生きることで、自分で自分を育てる力が身につきます。その力はそのまま、人生を生き抜く力になると考えています。

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